少しずつ、ができません
うつ病を回復させるために、生活習慣を直そうとしているのですが、うまくいきません。
まず、朝はなかなか起きられません。
起き上がれても、着替えができなかったり、朝食が食べられなかったり、何かしらできません。
着替えだけでも、と着替えができたとしても、それができたなら食事を、となってしまいます。
きついです。
昼は、起きていられません。
大体が眠気との戦いです。
そして大体負けます。
抗って、机やテーブルに突っ伏して寝たり、ソファに横になったりと、布団には入らないようにしてみたりもしています。
けれど、以前通っていた睡眠外来の先生の話だと、30分以上の睡眠自体が良くないことらしいので、無駄な足掻きのようです。
最近では「睡眠負債」という単語が注目されて、日本人の睡眠が見直されつつあるのかもしれませんが、1人では無理です。
特に家族で暮らしていると、他の人の都合なども考えたりしてしまうので、色々と無理が生じます。
話がずれました。
夜は、なかなか寝る準備ができません。
寝る準備は、風呂に入る準備・入浴・就寝準備・布団に入る、をまとめて指しています。
まず、なかなか風呂に入れません。
以前にもブログに書きましたが、まだまだ継続中です。
着替えの準備などの風呂の準備ができない。
できても、今度は風呂場に行けない。
風呂場に行けても、入浴に向かえない。
それぞれひとつひとつに、時間がかかったり、できなかったり、障害を発生させてしまうのです。
申し訳ないことです。
そして、就寝時間は遅くなり、朝が辛くなり・・・。
繋がっています。
だから、まずは1つだけできるように、ということができません。
ひとつできても、だめなんです。
ひとつできても、他ができていないなら、何もできていないのと同じなんです。
全部できるように求められてきました。
完璧なんてできたことがないのに、完璧を求められてきました。
怒られないようにです、すべては、怒られないようにです。
これらは完全に私の主観です。
きっと今はそんなことを求められていないと思います。
でも、今でも、起きられなければ「起きろ」と言われ、それと同時に「食べろ」と言われます。
朝でも、昼でも、夜でも。
起きなければ食べられませんから当然です。
食べなければ干からびると言われます。
そして起き上がって動き出して食事を始めるまで、見張られます。
監視されている感覚です。
私の被害妄想的な捉え方です。
そう分かっていても、自分は見張られている信用されていない監視されている、そう思ってしまい、余計に動けなくなります。
それを言うわけにはいきません。
傷つけてしまうかもしれませんから。
親が私の言動でショックを受けたり傷付いたりすることを、私は恐れています。
それによって親の生活や行動が制限されて生活しにくくなってしまったり、場合によっては気負い過ぎてうつ病になってしまうのが嫌だからです。
避けなければならないことです。
だからわたしは、良くならないのかもしれません。
脱線しすぎました。
話もおかしくなりました。
少し、悲観的な方向へ感情的になっています。
こんかいは、ここまで。
夜、寝る前の困り事
寝付きはいい方です。
問題があるのは、布団に入る前の就寝準備の時や、布団に入ってすぐの、まだ意識がハッキリしている時。
隣は両親の寝室で、壁も厚くないので隣から物音がよく聞こえます。
いびきとか。
いびきなら大丈夫なんです。
問題は、その他の音です。
特に、父の発する物音。
父はよく寝言を言うのですが、大抵が唸り声やうなされているような声です。
それを突然「うぁっ!」という感じに発します。
それから、たまに咳き込みます。
むせる感じです。
これらの音がよく聞こえてきます。
正直、病院で見てもらった方がいいんじゃないかと思う感じなのですが、病院嫌いのせいか深刻に考えていないのか、勧めてみても行く気配はなく。
そして私は、これらの物音がとても怖いのです。
基本的に、父が発する物音は「怖いもの」という認識が、私の中にこびりついています。
普段の足音も、ドアを強めに閉める音も、食器を雑に置く音も、鼻をすする音も、咳の音も、くしゃみの音も、むせる音も、遠くて内容は分からないけど何かを話している音も、声も。
私の精神状態にもよりますが、大体を怖いと思ってしまいます。
特に寝る前の物音は、私の調子が悪いと聞こえた瞬間に反射的に「ごめんなさい!」と思ってしまいます。
怯えてしまいます。
怖いのは、父が怒っていると思ってしまうからです。
怒っていると思うのは、父は怒るとよく大きな音をたてていたからです。
これらが繋がって、
「父が大きな音を出している→父は不機嫌・怒っている→私のせいかもしれない→怖い・ごめんなさい」
こうなります。
怖くて動けなくなる時もあります。
最近は、怖く思う度合いや頻度はいくらか減ってきたように感じます。
完全にこの状態から抜け出すには、しばらく時間がかかると思います。
というより、どちらかが生きていて、一緒に生活している内は、ずっと続くと思っています。
折り合いをつけて、なんとか感情と上手く付き合って、できれば、このことを父に知られないようにしなければ、と思います。
寝てる父に悪気はありませんし。
父が大きな音を出していても、私のことで怒っている可能性は低いことは分かっていますし、悪意があって大きな音を出しているわけではありませんし、何より大きな音だと思っていないことも多いでしょうし。
私が過剰に反応してしまうことに問題があるんです。
それが分かっているだけに、本人に言うわけにはいかないんです。
言ってしまうと、父が家で生きづらくなってしまうでしょうから。
今回はここまで。
私の記憶にある「最初のうつ症状」(主観)
小学6年の時。
朝、目が覚めるとなんだかいつもと違う感じがしました。
体を動かしたくない、動かすのが怖い。
この場所から動くのが怖い、学校に行くのが怖い。
学校に行きたくない。よく分からないけど、行きたくない。
目が覚めたら、頭と体がそんな感覚でした。
自分でもなんでこうなっているのか分かりません。
前の日は普通に過ごしていたと思います。
学校に行きたくない理由も考えつきません。
ただ、動きたくたいんです。怖いんです。
けれど、この感覚をそのまま親に伝えることはできません。
怒られることが容易に想像できたからです。
「よく分からないけど、なんだか学校に行きたくない」なんて、怒られるし怒鳴られるし分かってもらえない。
そう思いました。
今でも、あの頃感じたままを伝えたとしても理解してもらえなかったと思います。
そして、怒られたと思います。
だから私は、正直に言わずに「お腹が痛い」「頭が痛い」という体の症状を理由に、学校へ行くのが難しいと訴えました。
この日だけ学校に行かずに休めば、次の日からはまた普通に学校へ行けると思いました。
ですが、症状は続きました。
少し無理して、なんとか学校へ行くことができれば、あとは問題なく楽しく過ごせました。
小学6年のわたしにとって、学校は楽しい場所でした。
授業も休み時間も友達と遊ぶことも、楽しいことでした。
それが分かっていても、朝目が覚めるとまた同じ感覚になってしまうのです。
本当にわけが分かりませんでした。
そのわけが分からない状況を「よく分からないけど学校へ行くのが嫌だ、怖い」と言葉にすることはできたかもしれません。
原因や具体的なことは分からないけれど、「分からないけど怖い、嫌だ」という感覚は理解していました。
でも、怒られると予想して、誰にも言いませんでした。
「学校へ行きたくない」なんて言ったら、怒られるに決まってます。
「子どもがそんなことを言ったら怒られる」という場面をテレビでよく見ていました。
そしてこの頃の私は、朝起きるのが苦手になりつつあり、ほぼ毎朝怒られていたと記憶しています。
だから、さらに言えない状況でした。
誰にも言えないまま、最初の症状を抱えたまま、過ごしてしまいました。
言ったらなにか変わっただろうかと考えてみても、やはり当時の私の予想通り、怒られるだけだったと思います。
当時はまだ、うつ病や精神的な病気についての認知度は低いものだったと記憶しています。
私が高校生になる辺りにうつ病についてテレビで取り上げられるようになり、うつ病と自律神経失調症の違いについても言われるようになっていました。
専門家の意見によって、テレビでの理解もやや混乱していたように思います。
私に初めて症状が出現した時は、うつ病についても、自律神経の病気や症状についても、まだ広く知られていなかったんです。
まぁ、認知度が高まっている現在のような環境だったとしても、小学生の子どもが「よく分からないけど学校に行きたくない」なんて、言えなかったと思いますが。
ここで、1つの可能性として。
よく、「子どもは表現力が発達途中だから、自分の症状を言葉にするのが難しい」という専門家の意見をテレビなので耳にするのですが・・・。
子どもながらに言葉にすることができたとしても、それを「言ってはいけないこと」「言ったら怒られること」と判断してしまえば、言うことができないと思うのです。
子どもにとって、親は神に等しい存在です、絶対なんです。
それがいつまで続く思い込みなのかは個人差がありますが、その神様を怒らせることは悪いことなんです。
だから、言えない。
そういうこともあるんです。
だったらどうすればいいのか。
それは私にも分かりません。
ただ、1つの可能性として、「子どもは、言葉にできても言えない場合もある」ということを、誰かに知っておいていただきたいなぁと、思いました。
親、怖かったんです。怒るから。怒鳴るから。
長くなってしまいました。
取り留めもないです。
なので、これはここまで。
信じてもらえてない気がする「うつの始まり」
私がうつ病の症状を最初に自覚したのは、小学6年の時です。
この話を、親にも、精神科の先生にも、カウンセラーの方にも話しているのですが、いまいち信じてもらえてないように感じています。
もしかすると、伝え方が良くないのかもしれません。
まず、うつ病症状の「自覚」という表現。
これは「今のこの症状はうつ病だ!」と思った時ではなく、「思い返すと、あの時のあの感覚はうつ病の症状だったのかも」という、当時を思い返して考えて、そうだったかもしれないと判断しているという意味です。
この意図が伝わっているのか・・・いるような、いないような・・・。
伝わっている感じはするけれど、「あなたはそう考えているんですね」と言われたことがあるので、やはり信じてもらえていないというか。
このような考えは主観でしかないので、あくまで「可能性」に留めておくのは大切だとは分かっているんですが・・・。
これは私の考え方の悪い癖かもしれないのですが、「信じてもらえてないな」「信用されてないな」と思ってしまうのです。
この辺は私の問題ですね、きっと。
一応、私が自分でそうだも思っている「最初のうつ病症状」についても書いておこうかなと。
そう思ったのですが、この記事の中に書くと長くなるので、これとは分けて、次の記事にこれから書きます。
ひとまず、「信じてもらえてない」と感じているという話題はここまで。
「家族で食事」ってそんなにいいものじゃない(個人差)
夕食が苦手です。
正確には、家族と食べる夕食が苦手です。
嫌な思い出がたくさんあります。
横に座っていた祖母が、近所の噂話や悪口を喋り続けたり。
大皿におかずが残っていると、少食の私はいつも「食べろ」と父や祖母から言われたり。
私はまだ食べているのに「早く風呂に入れ」と祖母に急かされたり。
食卓で私が話していると、途中なのに父や祖母が別の話を始めたり。
テレビを見ながら食べていると、父がテレビに向かって文句や批判を浴び言ったり。
テレビでいい場面をやっていても、父や祖母が自分の話を優先させて続けて喋るため、テレビの音声が聞き取れなかったり。
父が祖母に向かって文句を言ったり。
早く食べ終わらないと急かされたり怒られたり。
楽しい食事というのは、私にとっては1人の食事です。
家族での夕食で楽しかった記憶が、思い出せません。
あるかもしれないのですが、嫌な思い出が多すぎて、その感情と記憶しか浮かびません。
ついでに言うと、家族での朝食でも色々ありましたが、これはいつか、また思い出した時に。
今回はこの辺で。
「言われたことができないなら死んだ方がいい」という心理
現在、タイトルのような心境です。
簡単に言うと、親に「朝か昼にこれをやっておいて」と言われました。
私自身、できると思いました。
お昼を食べたら準備をして・・・などの予定を脳内シミュレーションしました。
でも、できていません。
親から「命令された」という被害妄想寄りの認識からプレッシャーを感じているのか。
行動するシミュレーションの中に、ちらほら不安要素があるからなのか。
それとも、ただ単に今いる場所から動けないのか。動かないのか。動きたくないのか。
行動できていない、約束を果たせそうにない、ということは、約束した相手に不快な思いをさせてしまいます。
溜息を吐かせてしまい、イラつかせてしまい、時には激怒させてしまいます。
これらは私の過去の経験から連想されるものです。
また、怒らせ、煩わせてしまう。
自分の存在は、あってはならないものだと思ってしまう。
ならば、死んだ方がいいのだろう。
とてもスムーズな流れで、当たり前でいつも考えていることを、実行に移しそうなレベルで意識しています。
死ぬために動けるならば、約束のために動いた方がいいはずです。
けれど、このまま生き延びたとしても、私はまた約束を守れない状況を作ってしまうと思うのです。
それなら、もう二度とそうならないように、同じことで誰かに嫌な思いをさせないように、私は消えるべきなのだと思ってしまうのです。
こんなことを考えながら、私はまだ、動けずにいます。
穏やかに、自分を消す方法を考えつつ、約束を守るために動くことを考えています。
チラつく不安要素で脳内が葛藤しています。
死ななければならないと、思ってしまいます。
毎日、程度の差はあれど、こんなことを考えています。
今日は、私はどうするのかな。
今回はここまで。
湯船にお湯を貯める時の思い出
次の記事はこれを書く、と決めてしまうと、途端に書けなくなってしまいます。
「やらなければならない大きな仕事」
「それができるまでは他のことをしてはいけない」
そんな風に捉えてしまうのかもしれません。
その時思い出したことをサッと書いていきたいので、次に何を書くかは決めず、宣言せず、なるべく自由にやっていこうと思います。
とりあえずは、もう言ってしまったので風呂についての続きの話。
これについて、1つだけ書きます。
湯船にお湯を貯める時についてです。
湯船にお湯を貯めるだけで、おもい出す出来事が2つあります。
どちらも中学か高校の時の話です。
学生時代の当時の私は、学校から帰ると風呂にお湯を貯めることが家出の役割になっていました。
もしかすると、毎回「お風呂貯めなさい」と言われていたのかもしれません。
ある時、いつも通りにお湯を貯め始め、温度を調節し、風呂場を後にしました。
その後の一番風呂は父親でした。
風呂から上がった父親はすぐに私のところに来て、
「風呂にお湯が貯まってなかったぞ」
と言いました。
確かに貯め始めたはずなのに、言われている意味が分かりませんでした。
「湯船の栓がちゃんと閉まってるのを確認したか?」
「あれが傾いていてお湯が貯まらなかったんだろう」
「次から気を付けなさい」
こう言われました。
これまで、湯船の栓なんて確認したことがありませんでした。
軽く穴に入れるだけで、なんの問題も起こったことがありませんでした。
ですが、この時は問題が起こってしまったのです。
父親は怒っていました。
もしかすると、不機嫌程度だったかもしれません。
もしかすると、軽く注意しただけだったかもしれません。
でも、私の記憶にあるその時の父親は、とても怖いものでした。
怒られた、怒らせた、機嫌を損ねた、間違えた。
怖かったです。申し訳なかったです。
それ以来、湯船の栓は指でしっかり押し込むようにしました。
今でもそうしています。
だからなのか、お湯を貯める時には、無条件で叱られた記憶が蘇ります。
もう1つの思い出です。
風呂にお湯を貯め始め、風呂場を出て、一番風呂は父親で、上がった父親はすぐに私のところに来ました。
「風呂が水だったぞ」
お湯になってなかったのです。
この理由については、当時から時間が経ったせいか忘れてしまい、なぜ水だったのかよう思い出せません。
温度調節を間違えたか、調節の途中で何かがあってその場を離れてそのままだったか。
何にせよ、私は失敗しました。
「俺だったから良かったけど、ばあさんが先に入ってたら大変だったぞ」
その頃は祖母が存命だったため、父親はその事にも触れて私に注意しました。
怖い声でした。怒っていました。
記憶違いなのかもしれません。
「怖い」という感情を覚えています。
この2つの思い出を、湯船にお湯を貯める時に思い出します。
現在では脳裏をふっとよぎる程度だったり、言われた言葉を思い出す程度だったり、過去が主張してくるレベルは強くありません。
数年前はたまに泣いてしまってりしていましたが。
風呂については、とりあえずここまで。